2014年12月22日月曜日

愛媛魔笛

寒くなりましたね~~(+o+)
あったかアイテムを欲しております。。
そして、年末、ブログ頑張ってる!!

さて、今日は、愛媛での魔笛の写真をアップします。

松山魔笛は、時任マエストロのもと、歌わせていただきました。
憧れのマエストロとの共演、とても嬉しかったです。
ずっと息が続かない・・と苦しんでいたフレーズも、時任マエストロのおかげで、歌えるようになりました。



 
この公演のために作られた衣裳!
黒のロココ調で素敵でした!!
 

カーテンコール
みんなの中だと、真っ黒で見つけにくいですね(笑)
 
 

中学時代のコーラス部仲間
こうやって、大人になって共演出来て、めちゃくちゃうれしかったわけです。
 

公演後、パチリ!
みんなスッキリしたお顔(*´▽`*)
 
 
さて、明日は埼玉バージョンです★
お楽しみに!

2014年12月21日日曜日

こんにちは(*^^*)
すっかり、「お久しぶりです」ではなくなりました!(笑)

前回のブログまでは、私の学生生活についてでした。
どうしよう、ネタが・・・( ゚Д゚)


うん、そろそろ、私の「魔笛祭」について書こうかしら。

そうなのです。
卒業した今年、どうなるのやら・・・と不安ばかりだったのですが、
幸いにもオペラに出演する機会をたくさん得て、あっという間に過ぎていきました。


「魔笛祭」と言いましたが、今年夜の女王を3本、歌わせていただきました。

8月 地元松山にて
9月 さいたまシティオペラ さいたま文化センター大ホールにて
10月 聖徳大学シリーズコンサート 川並講堂にて

歌わせていただきました。3本したものの、すべてプロダクションが違ったため、
台詞が違ったり、歌詞も原語のドイツ語、日本語でも使うものが違ったり・・・

と、稽古始めは、頭の中に、いろんな言葉がグルグルグルグルしながら歌っていました。

気性の激しい女王として有名なのはかの有名な「夜の女王のアリア」ですよね。
私とは性格がかけ離れすぎていて、演じるにあたり、いろんな映画の悪役を見たりもしました。が、なんか私がやると違うんだよな~~~と、かなり悩まされました。
こんなに女王役をしてたら、性格もキツくなっていくのかなぁと思いきや、逆!

穏やかになる一方でした。
アリア前の演技の台詞で、娘に向かってどなるシーンがあります。
そこで、怒りスイッチを入れるので、
普段の生活に於いては、その怒りスイッチを完全オフにしておりました。
稽古で入れっぱなしのスイッチ、普段オフにしておかないと疲れちゃいます(;'∀')

3本、言葉の違いにはかなりの苦労をしたものの、楽しみもありました。
それは、プロダクションが違うので、衣裳が違うのです★★

夜の女王役なので、どのプロダクションも力が入った衣裳でした。
衣装合わせでの、衣裳とのご対面、楽しみで楽しみで・・・・♪
そして、この衣裳を着るのがまた楽しみでした(*´▽`*)

連日投稿のネタにしますので、写真は明日!アップしまーーす(^O^)/




2014年12月19日金曜日

オフィーリアちゃんを経て

今週はまだまだ頑張りますよっ!
結構見てくださってる方がいらっしゃるみたいで、今週はやる気があります(^O^)/

さてさて、そんなこんなで、私の論文&修了審査演奏は終えました。

この修了演奏では、シュトラウスのオフィーリアのほかに、

イギリスの作曲家、クィルター、マコンキー、
フランスの作曲家、サンサーンス、ショーソン、デュポン

の書いた、オフィーリアの歌を歌いました。
今回、演奏はしませんでしたが他にブラームスやチャイコフスキーなども書いていました。こちらは、論文内で分析しました。


歌曲なので、ピアノとの絡みがどの曲も素敵でした。
そんな素敵なピアノを弾いてくださったのは、学部のころからのお付き合いで、
大学院では毎週レッスンで伴奏をしてくださったゆか先生。
いつもピアノから私を支えてくださいました。

そんなゆか先生と、演奏後に一枚!



 
そして仲良しの門下の後輩ちゃんたちとも一枚!
 
 



からの、卒業式!
 
 



このようにして(笑)、私の長ーーーい学生生活は終わりました。
回り道を何度もしましたが、充実した学生生活で、
私の母校、附属小の正門入ってすぐのところに、「よく学び、よく遊べ」と、
あるのですが、まさにその通りだったように思います。
たくさん遊んで、たくさん勉強させてもらった学生生活でした。



春からも学生でこそなくなりましたが、
いろんな現場で、マエストロや演出の先生などに『いまだにたくさんの指導を受けながら勉強させてもらっています。
この「歌を歌う」というのは、一生勉強続きですね。

まだまだ頑張ります!
さて、まだまだ更新しますよ!!

2014年12月18日木曜日

オフィーリア ~Part 3~

おはようございます。
早速ですね。。ごめんなさい!
でも、続き、書きます!!

ここ2回、オフィーリアちゃんについて述べております(*´▽`*)
今日久しぶりに見たわ!という方、ぜひ二つ前のものから、時間のある方は三つ前からご覧くださいませ♪(ふだんこうしんしてないのにスミマセン・・・)
 
さて、このオフィーリアちゃんシリーズは、今日で一旦最後にしようかなぁ~~と思っています。今日は、そのシュトラウスのオフィーリアの曲が作曲された経緯について書こうと思います。
 
あれだけ素晴らしい作品なのですが、もしかしたら作曲されてなかったかもしれない(!)、幻の作品だったのです!!
 
 シュトラウスは、1864年に生まれ、1949年に亡くなるまで多くの作品を残しました。そしてオフィーリアの歌曲は、1918年に作曲されました。

かなりまじめな感じになってますが、論文の一部からちょこっとこのオフィーリアの3つの歌の生い立ちを紹介します。
 
 
 シュトラウスは、多くの歌曲を作曲していて、1882~1929年の間に約150曲もの歌曲が作曲されています。有名な「献呈」などは19歳くらいの時に作曲されています。作曲家初期には、多くの歌曲を作曲していたのですが、中期にはオーケストラ伴奏歌曲を作ったりとオーケストラの作曲に没頭します。そして1905年オペラ『サロメ』の成功以来、シュトラウスはオペラの作曲に専念してしまうのです。
 1913年にベルリンの音楽出版業者ボーテ&ボック社がシュトラウスと、彼の《家庭交響曲》Op.53の出版に関する契約書を交わした時に、今後シュトラウスが作曲するであろう歌曲12曲についても同社が出版する権利を得るという条件を加えました。シュトラウスはその頃まで、一年間に4,5曲から10数曲のペースで歌曲を作曲していたので、12曲くらいなら遅くとも2,3年のうちに消化できると予想していたのでしょう。
というのも、シュトラウスの時代は、歌曲の楽譜の出版というものは、一度当たればかなりの収益を見込めたのです。しかし、1905年オペラ《サロメ》が成功し、国内外に大きな反響を呼び、それからというもの、全精力をオペラの作曲に注ぐようになり、あれほど私情注いで作曲していた歌曲制作には、ほとんど目もくれなくなってしまったのです。
 
約束の12曲については、半数の6曲をやっとの思いで出版社に手渡したものの、残りの6曲については全く出来ず、出版社からの三回にもわたり催促するそのしつこさから逃れるためにシュトラウスがやっとのことで書いたのが12曲からなる連作歌曲集、ベルリンの音楽評論家アルフレート・ケルの詩による《クレーマーシュピーゲル》Op.66でした。
しかし、そのテキストの内容は12曲ともボーテ&ボック者の社長フーゴー・ボック氏自身の会社を含めたドイツの大手楽譜出版業者のことを、語呂合わせなどを駆使して皮肉に満ちたものだったのです。見事な仕上がりは別として、ただ単に純粋な音楽としても実に優美な作品だったのですが、シュトラウスは結局このベルリンの出版社に告訴され、敗訴するのです。
「ちゃんとした歌曲を書け」という裁判所の判決に従ってシュトラウスが作曲したものが、シェイクスピアの『ハムレット』からの「3つのオフィーリアの歌」、ゲーテの『西東詩篇』の「不興の巻」からの3曲の計6曲だったのです。これもかなりきわどいテキストの選択であったが、その内容がどうであれ、こんどは天下の誰もが認める大天才シェイクスピアとゲーテが作った詩に作曲したのです。さすがのボーテ&ボック社も受け取りを拒否することは出来ず、この6曲に作品番号67を付けて出版したのでした。
もっとも、いかにもリヒャルト・シュトラウスの歌曲とはいえ、腕によりをかけて難渋に仕上げられたこの6曲の楽譜はあまり売れなかったようで、いかにもシュトラウスらしい巧妙な復讐であろう。・・と文献にありました。
 
 
 
 こーーんな偶然の産物だったのです。
それなのに、こんなにも素晴らしい世界。そう思いませんか??
 
論文では、オフィーリアを題材にしたいろいろな楽曲について調べたり、歌ったりしました。詳しくはたまに、番外編としてこのブログで紹介いたしますね♪

2014年12月16日火曜日

オフィーリア ~Part 2~

頑張って早い更新です★
今週は頑張って毎日更新しようと思います!
年末ですからねっ(?)

今日は「オフィーリア ~Part 2~」なので、ぜひ、Part1、さらにはその前のブログも読んでいただけた方が面白いかもしれません(*^^*)


さて、前回は、演劇の方のオフィーリアを見ていただきました。
今日は、トマのオフィーリアを見ていただきます。

前回述べたように、狂気にはコロラトゥーラが多く用いられます。

このトマのオフィーリアは、普通に歌う部分とコロラトゥーラが行ったり来たりすることで、現実の世界と狂気を行き来していることが音楽で表現されています。

ナタリーデセイというソプラノ歌手の演奏です。
以前このブログでも紹介したことのある動画ですが、歌唱が素晴らしいのはもちろん、演技も素晴らしいのです!(You Tubeにたくさんありますのでぜひ!)

 
 
さて、シュトラウスはこの狂気の世界をどう表現したのでしょうか。
狂気を描く際に多く用いるコロラトゥーラを用いることなく、狂気の世界を表現したのです。
 
前回、詩の対訳をアップいたしましたが、あのように3曲に分けて作曲してあります。
 
全体的には、不協和音を多用することによって躁鬱状態が見事に描かれていて、現実世界と狂気の世界を行き来する様子がよくわかります。ピアノパートと歌が、かみ合わないように進行したり、たまにピタっと歌と連動したり・・・狂気に至ってしまった彼女の足取りを表現しているようでした。
 
全体的に躁鬱状態を行き来しているわけですが、
1曲目は、鬱。シンコペーションで進む左手パートが進まない足を動かしているようです。その上を右手パートが半音ずつ音を変えて、予測不可能に音を進めていきます。それを真似するように歌がなぞっていきます。
 
2曲目は、まさに躁状態。テンポの速さがそれを表しています。言葉も早くしゃべります。(歌うの、実は大変です(笑)下品なことを、口が勝手にしゃべってしまうような印象です。それほど、彼女は今の状況が受け止められないのでしょう。。
 
そして3曲目。大好きな3曲目です。
救いを求めるも、誰も助けてくれないような感じがピアノパートに描かれています。
曲はじまり、1オクターブを一拍でせっかく上がっても2拍目以降上行下行を繰り返しながらも最初の音に戻ってしまうのが、オフィーリアの救いを求めるも、周りがそれを救ってくれないように読み取れます。
1曲目が鬱、2曲目が躁だったのが、3曲目では、この躁鬱状態を1曲の中で行き来します。それぞれの状態の時間がどんどん短くなり、最後はとってもゆったりしたテンポの中で、彼女自身の言葉を話して、この場、そしてこの世を去ります。
 
ちょっとマニアックな曲かもしれませんが、とても素敵な曲で、リアルなオフィーリアの心境を表していて私はこの作品が大好きです。
この曲が作曲された当時、ドイツでのシェイクスピア作品はシュレーゲルという作曲家のものが多く使われていた中、シュトラウスはジムロックという人の対訳を使いました。これによって、より現代語に近いドイツ語訳になり、よりリアルにオフィーリアを描くことに成功したように解釈しています。
 
ぜひ、対訳と一緒にお聴きくださいませ(*´▽`*)
この対訳も、自分で作りました。
先日のは、シェイクスピアの英文を訳したもので、今日のは、原文をジムロックが独訳したものを、さらに平中麻貴が日本語訳にしたものです(笑)
 
ジムロックのドイツ語訳の意図を活かして訳してみました!
もちろん、一人の力では難しく、ドイツ文学の教授の先生にも手伝ってもらいました(;'∀')
おかげで、素敵な訳になりました★
 

Ruchard Strauss(1864-1949)
3 lieder der Ophelia(1918)
Karl Joseph Simrock (1802-1876) 独訳
Wie erkenn' ich mein Treulieb  どうやって本当の恋人を見分けるの
Wie erkenn' ich mein Treuliebどうやって本当の恋人を見分けるの
Vor andern nun?ほかの人から?
An dem Muschelhut und Stab貝帽子と杖に
und den Sandalschuh'n.そしてサンダル靴。
Er ist tot und lange hinとっくの昔に死んでしまった
Tot und hinFräulein!死んで遠くにね、そうでしょ!
Ihm zu Häupten grünes Grasあの人の枕元には緑の草
Ihm zu Fuß ein Stein. 足もとには墓石が。
Oho! Auf seinem Bahrtuchおぉ!あの人の経帷子は
weiß wie Schnee雪のように真っ白で棺をおおう衣の上では
viel liebe Blumen trauern.たくさんの花が悲しんでいる
Sie gehn zu Grabe naßO weh! そして花たちは墓場へと濡れたままついてゆくのよ
vor Liebesschauern.あぁ!戦慄から流れる涙と共にゆりうごかされて
Guten Morgen's ist Sankt Valentinstagおはよう、今日は聖バレンタインの日よ
Guten Morgen's ist Sankt Valentinstagおはよう、今日はバレンタインの日よ
so fruh vor Sonnenschein.それだから日の出よりずっと早く
Ich junge Maid am Fensterschlag若い娘の私は窓を叩いて
will Euer Valentin sein.あなたのために愛を送りましょう
Der junge Mann tut Hosen an若い男の子はズボンを着て
tät auf die Kammerturそして部屋のドアをあけて、
Lies ein die Maid die als Maid乙女が部屋に入れました
die als Maid ging nimmermehr herfür.そして出る時には、もはや乙女ではありませんでした。
Bei Sankt Niklas und Charitas!聖ニコラスにかけて、聖カリタスにかけて言うけど、
Ein unverschämt Geschlecht!男は恥知らずなやつらね!
Ein junger Mann tut's wenn er kann若い男は出来るときにやっちまうの、
ürwahrdas ist nicht recht.やっちゃいけない事よ、本当に。
Sie sprach: Eh Ihr gescherzt mi mir娘は言った「あなた、私といちゃつく前に言ったわよね?
erspracht Ihr mich zu frein.私と結婚してくれるって。」
Ich bracht's auch nicht beim Sonnenlicht俺はおひさまにかけて誓うけど、
ärst du nicht kommen herein.君が中へ入ってこなかったら俺はそんなことしなかったよ」
Sie trugen ihn auf der Bahre bloss  人々は彼を裸の棺台の上に運び去った
Sie trugen ihn auf der Bahre bloß,人々はあの人を裸の棺台の上に運び去った
leiderach leiderden Liebsten!悲しい、悲しい、愛する人!
Manche Träne fiel in des Grabes Schoßたくさんの涙が墓にこぼれ落ちた
fahr wohlfahr wohlmeine Taube!さようなら、さようなら、私のいとしい人!
Mein junger frischer Hansel ist's若く元気なハンスちゃん
der mir gefällt - Und kommt er nimmermehr?私は好きだったのにー二度と帰って来ないのでしょうか?
Er ist toto weh!あの人は死んだ、あぁ!
In dein Totbett geh’お前自身死の床に行くがいい
er kommt dir nimmermehr.あの人はもうあなたのところには決して戻ってこない
Sein Bart war weiß wie Schneeあの人の髭は雪のように白かった
sein Haupt wie Flachs dazu.あの人の頭は亜麻のように白かった。
Er ist hiner ist hinあの人は死んだ、あの人は死んだの
kein Trauern bringt Gewinn:悲しんでも無駄なこと。
Mit seiner Seele Ruhあのひとの魂に安らぎがありますように
 
und mit allen Christenseelen!
すべてのキリスト教徒の魂といっしょにいられますように!

 
Darum bet' ich! Gott sei mit euch!だから私は祈るの!神様のご加護がありますように!
 
 
 
 
 
 
先ほども書いたように私は3曲目が特に好きです。
特に、「Mit seiner Seele Ruh ~」(7’00”あたり)以降が特に好きです。
ここまでの言葉は、昔から伝わる民謡をそのまま歌っているのですが、
ここからは彼女自身の言葉なのです。
それまで、フワついたり、たどたどしい足の感じと違って、神様が彼女を受け入れるような音楽になります。久々にじっくり聞いたけど、いいわぁ~~。
 
 
あらあら、またしても長くなってしまいました。
音楽の論文と言うのは、こんな感じなのです。
主観がほとんどですが、私はこういう風に解釈したよって言うのを言葉にしていくのです。
論文テンションでブログを書いてしまいましたが、たまにはいいでしょ??(;'∀')
 
 
でも、この曲、とっても素敵だと思いませんか??
 
 
 

2014年12月15日月曜日

オフィーリア ~Part 1~

こんにちは(*^^*)
早速一か月後です。(笑)ごめんなさい!

さて、先日のブログでオフィーリアについて書いたので、今日はその論文で書いたシュトラウスのオフィーリアについてちょこっと真面目に書いてみようと思います。

先日書いたように、恋人ハムレットに冷たくあしらわれ、父親は殺され、狂気にいたってしまうオフィーリアなのです。
『ハムレット』を題材にした有名な作品として挙げたのはフランスの作曲家トマのオペラです。

オフィーリアのように狂気に至ってしまった女性を描く場合、高音でコロコロ転がるような音形「コロラトゥーラ」を用いるのです。有名なもので言えば、ドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』の「狂乱の場」などでしょうか?または、怒り狂った『魔笛』の「夜の女王」のアリアでしょうかね。

このように普通の状態の人間ではなくなってしまったことを表現する場合に多く用いられます。多く・・・というだけで、すべてがそうなわけではありません。溢れんばかりの喜びを表す時にも用いられます。

話が行ったり来たりしておりますが、オペラを作曲したトマは、このコロラトゥーラを多く用いることでオフィーリアの狂気の世界を描きました。

私の声だと、コロラトゥーラを用いる作品を歌うことが多く、”狂気の世界”って転がすんだなぁ~~と思っていた矢先、シュトラウスの「3つのオフィーリアの歌」に出会いました。
もともとシュトラウスの曲は大好きでしたが、「オフィーリアの歌」は知りませんでした。これは、コロラトゥーラを使わないで、狂気の世界を描いているのです!!( ゚Д゚)
この曲を聞いた時、私の中にあった”狂気の世界”のイメージが変わり、これについて論文を書きたい!と思いました。

さて、どのように描いたかは、曲を聴くのが一番早いです。(笑)
しかし、この曲について、ふかーーく述べたくなってきたので、何かいい動画ないかなぁと探してましたら、劇のほうで、いろんなオフィーリアを集めた動画がありました!

どうやら、オフィーリアのシーンを最初からちょっとずつ繋げているようです。
日本語字幕がほしいところですが、女優さんの表情で読み取れるかなと思います。
最初は、兄や父から、ハムレットとの恋をやめるように言われています。
途中部分からは、ハムレットが狂ったふりをしてオフィーリアを冷たくあしらいます。
彼女のショックさ、伝わります(T_T)
最後は、狂気のシーンです。見るにもつらい彼女の心の状態が演じられています。
この狂気のシーンで、彼女は歌を歌うのです。昔から伝わる民謡です。

狂いながら歌うのです。
何とも言えないですよね。
その対訳は、論文を書く際に作りました。



どうやって本当の恋人を見分けるの

どうやって本当の恋人を見分けるの

他の人から?

彼の貝帽子と杖

足には草履。

 
あの人は死んだの、そうでしょ

あの人は死んだの

頭には緑の草

足元に墓石

 
雪のように真っ白な経帷子を

かわいらしい花たちで飾って

お墓へと行くの

本当の愛の雨に降られて


明日は聖ヴァレンタインの日

明日は聖ヴァレンタインの日

朝早くから

私乙女はあなたの窓辺で

あなたのヴァレンタインになるの

すると彼は起きて服を着て

そして私を部屋へ入れるの

 
聖ギス様 聖カリタス様、

あぁなんて恥知らずなの

若い男は出来る時にやっちゃうのね

彼らはたわ言のせいにして

 
彼女は言った「あなた私に言ったじゃない

結婚してくれるって」

 
男はこう答えたのよ

そう、僕は太陽にかけて誓ったよ

が僕のベッドに入ってこなければね。



彼らは彼を棺の上へむき出しのまま運んだ

彼らは彼を棺の上へむき出しのまま運んだ

お墓にたくさんの涙の雨が降る。

さようなら、いとしいかた。

 
かわいい私の駒鳥よ

 
あの人は帰ってくるかしら?

あの人は帰ってくるかしら?

いいえ、いいえ、彼は死んだの

死んでしまったのだもの

あの人はもう二度と帰らない

 
おひげは真っ白雪のよう

銀髭麻は彼の頭だったわ

彼は行ったの、彼は行ったの

私たちは嘆き残されるの

あの世でどうかお幸せに。

 
クリスチャンのすべてのみなさんのためにも祈ります、さようなら。



この3曲を歌うのです。
この動画でもわかるように、いい育ちのお嬢さんが、2曲目のようなことを発言してしまうのです。1曲目、3曲目は父親のことを語っているのでしょう。でも、考え方によっては、愛していたハムレットがいなくなった・・死んでしまった?と解釈することも出来ます。

シェイクスピアのもともとの戯曲ですらこんなにエネルギーがあるのを演じたらどうなるのやら。ましてや演奏したらどうなるのやら・・ってなるでしょ!?


お時間ある方には、全部見てほしいですけど、無い方は10分くらいからの狂気だけでもご覧くださいませ。





というわけで、ついつい長くなりまして、トマとシュトラウスについては、また次回!
こればっかりは、今週中に書くぞっ!(^O^)/